最近、仕事で「あなたは頑張ってるよ」と評価されることがあった。
もちろん、嬉しかった。
嬉しくなかったわけじゃない。
ちゃんと見てくれていたんだなと思ったし、頑張っていることを認めてもらえたのは嬉しい。
でも、不思議なことに、
「よし、もっと頑張ろう」
とはならなかった。
「ありがとう」と思う。
でも、それ以上に仕事へのモチベーションが上がるわけではない。
自分自身でも、なんでだろうと思った。
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以前なら「評価されること」はもっと大きかった気がする
これまでの自分は、どこかで、
できるようになる → 評価される → 自信がつく → 安心できる
という流れを求めていたように思う。
仕事ができるようになる。
周りから認められる。
そうすれば、自分に自信が持てる。
そして、安心できる。
だから「頑張ってるよ」と言われることには、かなり価値があったはずだ。
でも今は少し違う。
評価されて嬉しい。
でも、
「だからもっと頑張ります!」
とはならない。
そこで少し思った。
もしかしたら、自分はもう「評価されること」そのものを一番求めているわけではないのかもしれない。
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「頑張って認められたい」より、「もう少し安心したい」
AIとの対話の中で、こんな言葉が出てきた。
「そもそも、こんなに頑張らなくても安心していられる場所にいたいんじゃないか」
これを見たとき、少し腑に落ちた。
今の自分は、
「もっと頑張って認められたい」
というより、
「もう、頑張る方向にばかり進みたくない」
のかもしれない。
最近ずっと、
- できなかった
- 改善しなきゃ
- 他の人ならできる
- 自分は能力がないのかな
- もっとできるようにならなきゃ
- この仕事は自分に合っていないのかな
みたいなことを考えてきた。
そんな状態で、
「あなたは頑張ってるよ」
と言われても、
「うん、ありがとう。でも、もう頑張る方向に行きたいわけじゃないんだよな」
という感覚になるのも、自然なのかもしれない。
褒められることは嬉しい。
でも、褒められたからといって、今の仕事をもっと頑張りたいと思うわけではない。
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自分は何を求めているんだろう
最近、本当に分からなくなる。
成長したいと思っていた。
でも、成長し続けるのはしんどい。
評価されたいと思っていた。
でも、評価されたからといって、それだけで頑張る気持ちになるわけではない。
仕事で成功したいと思っていた。
でも、そもそも仕事内容が自分に合っていないのかもしれない。
お金も欲しい。
でも、お金だけあればいいわけでもない。
やりたい仕事もしたい。
でも、「やりたい」だけではなく、安心できることも必要だ。
ここまで考えると、
「じゃあ、自分は一体何が欲しいんだ?」
となる。
でも、これは迷走しているわけではないのかもしれない。
今まで自分が欲しいと思っていたものを、一つずつ確かめている途中なのかもしれない。
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「もっと頑張りたい」だけでは満たされない
今のところ、かなり確かなことがある。
それは、
「もっと頑張って認められたい」だけでは、自分は満たされない
ということ。
以前は、
「できるようになれば安心できる」
と思っていた。
でも、できるようになったとしても、また次の課題が出てくる。
評価されたとしても、また次はもっと頑張らなければならないような気がする。
それを繰り返していたら、いつまで経っても安心できない。
だから今は、
「どうすればもっと評価されるか」
よりも、
「どういう毎日なら、もう少し心穏やかに過ごせるんだろう」
を考えたほうがいいのかもしれない。
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自分が求めているのは、意外と地味なものなのかもしれない
例えば、
- 朝起きたときに、仕事がそこまで嫌じゃない
- 上司の顔色を常に気にしなくていい
- 自分なりに仕事をして、普通に帰れる
- 給料をもらって、普通に生活できる
- 休日まで仕事のことを考えなくていい
こういうこと。
派手な成功ではない。
誰かから大きく評価されることでもない。
でも、こういう地味な安心が、自分にとってはかなり大きな価値なのかもしれない。
そして、その安心が手に入ったあとで、
「なんか暇だな。ちょっと勉強してみようかな」
と思ったら、そのとき頑張ればいい。
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頑張るために安心するのではなく、安心した上で頑張りたい
今までの自分は、
頑張る → できるようになる → 安心する
という順番で考えていた。
でも、もしかしたら逆でもいいのかもしれない。
安心する → 少し余裕ができる → やりたいときに頑張る
頑張るために安心するのではなく、
安心した上で、頑張りたいときに頑張る。
今の自分は、そういう価値観に少しずつ変わっている途中なのかもしれない。
「頑張ってるよ」と言われても、「もっと頑張ろう」と思えなかった。
それは、自分が怠けているからではなくて、
もしかしたら、
もう「頑張ること」そのものを一番の目的にしたくなくなっている
ということなのかもしれない。